Alii!! 南の島パラオから「こんにちは」

青年海外協力隊(2023年度1次隊)としてパラオの小学校に派遣されている中学校英語科教員が、パラオでの様子を日本の皆さんにお届けします!

024 日本から来た友人をアイメリークにご招待

🏫2学期そろそろ終了

10日前に実は2学期は終了したので、時差が生まれてしまいましたが…😅2学期最終版の様子をお伝えします。

1・2年生の算数の様子。2学期終了目前にして、ついに2けたのたし算・ひき算のくり上がり・くり下がりのどちらもが一応できるようになりました。あとは練習あるのみ…!

一の位のひき算「12-6」が思い出せない彼も、隣にさくらんぼ計算を書いて、自力で計算ができるようになりました。

 

十の位のひき算「8-7」は指を使って計算。こちらも自力で解けるようになりました。最初は「こんなに単純な計算も指を使わないとできないとはしんどいな…」と感じていましたが、彼らには彼らのペースがあるので、今はのんびり見守るようになりました。自力で解けただけ、スゴイ!褒めて褒めて伸ばす!

 

「私も丸つけして~~」と張り合うクラスメイト。褒めて褒めて伸ばす!みんなで算数楽しめ~~。

 

こちらは3年生の算数の授業。

ひたすら九九の練習…ではおもしろくないので、一人ずつ先生役になって棒で問題を指しながら、暗唱していました。

 

「あっ、読み間違えちゃった」「センセイ、しっかりしてよー」そんなやり取りで笑顔があふれる…算数は楽しんだもの勝ちです。

 

昼休みは、いつも高学年(5~8年生)と一緒にサッカーをしています。すべるから…という理由で、ほとんどの子どもがはだし。

 

女の子も男子に負けてない!たくましいパラオガールです👧

 

こちらは、5年生の英語の授業。何やらパソコンを開いて作業をしているな?と思ったら…

英語で「Haiku」を作るという学習をしていました。英語でつくるHaikuのルールの定義は様々あるようですが、この授業では、①3文で構成する②最初の文と最後の文は5音節、2つ目の文は7音節 というルールでHaikuをつくっていました。

 

我らが松尾芭蕉の作品を参考にしてHaiku作りをしている子どももいました。なんだかうれしい!!

 

こちらは、放課後のおまけショット。職員室で先生方に「チョコバナナ食べる?」と言われたので、「食べる!」と答えたら、これをもらいました。これがパラオスタイルらしい…😅

 

 

 

🗾日本から来た友人をアイメリークにご招待

12月のはじめに、日本から同期隊員の友人がパラオに来てくれました。せっかくだから、パラオの田舎にある小さな学校で先生体験をしてほしい!とお願いしたところ、快くアイメリーク小に来てくれました。

 

昼ごはんの時間帯から来てくれたこともあり、まずは先生方からお昼ごはんのおもてなし!

パラオ版サシミに魚のスープ。

 

タロイモとタピオカ。

昼ごはんの用意のために、朝早くから動いてくれていた先生がいたり…。アイメリーク小の同僚の先生方のおもてなしが温かかくて嬉しくなりました。

 

午後は、ヤキューの授業!

前回はキャッチボールとバッティングだけでしたが、今回はティーボールのミニゲーム!まずは試合前の整列から。

 

打って、走って…。

守って、投げて…。

ときにはヘッドスライディング!「おれ、セーフだよね?!」

 

そして、ミニゲームの後は、エキシビション。友人(高校の野球部監督もするようなバリバリのベースボールプレイヤー)と小学生たちの一騎打ちです!緊迫した雰囲気の中、8年生のピッチャーが思いっきり投げます。守備はもちろん約20人全員で。テニスボールとは思えないほどの迫力ある球でした。結果は…引き分けかな☺

 

最後に記念写真。子どもたちにとって、とってもいい機会になりました。たった4日間のパラオ滞在だったのに、アイメリーク小に寄ってくれて感謝です!

 

 

 

🚘アルモノグイへ

日本から来た友人が盛り上げてくれたヤキュー特別授業の後。せっかくなのでアイメリーク州だけでなく、アイメリークのやや北にあるアルモノグイ州(Ngeremlengui)にも一緒に観光に行きました。

アイメリークからは車で30分ほどです。


アルモノグイにはゼロ戦(零式艦上戦闘機)の残骸が残されてあります。アルモノグイ州に入って、道路沿いにあるこの看板の右にある細道からゼロ戦が墜落したとされている場所へ向かいます。

 

途中、雨でぬかるんだ泥道も通りながら、ひたすら一本道を歩き続けます。

 

海に沈む夕日を眺めながら歩くこと、約50分。

 

大草原の中にポツリとゼロ戦の翼部分が見えてきました。

 

墜落の際に、真ん中で分断されてしまったのかもしれません。ただ、プロペラと垂直尾翼(後ろの翼)がきれいな形で残っていました。

 

機体の中央部分は粉々に壊れていました。

 

このゼロ戦に乗っていたパイロットは第261海軍航空隊所属 吉田久光上等飛行兵だったそうです。米軍からの攻撃を受け、アルモノグイ州のこの場所に不時着し炎上。吉田上等飛行兵は、19歳の若さで亡くなられました。

 

翼に残るたくさんの銃の跡。戦争のせいで、19歳の若者の尊い命が奪われてしまったことを忘れてはいけないと強く感じました。また、この場所はアルモノグイの皆さんが定期的に手入れをし、ゼロ戦が草に埋もれてしまわないようにしてくださっているそうです。日本から遠く離れた小さな島国で、今もゼロ戦のために清掃活動をしてくださっているのです。

 

ゼロ戦の後は、HODAI(砲台)に向かいました。

夜になってしまい、写真ではかなり見づらいですが、第二次世界大戦中の日本軍の大砲が4門そのまま残されていました。

 

パラオ本島の西海岸を守ろうとする強い意志が感じさせられる巨大な大砲でした。

 

あまりにも写真が暗く、うまく撮れなかったので、昼間に撮った写真を送ってもらいました。

大砲の大きさと迫力を感じさせられます。

 

明治36年に作られたと記されていました。第二次世界大戦に備えて設置された大砲…というよりは、1900年始めの日露戦争の時代に、作られたものであるようです。

 

野ざらしに置いてある大砲だけでなく、コンクリートの建物に隠されている大砲もありました。

 

建物内部から見た大砲です。第二次世界大戦中は結局使用されることはなかったそうですが、いまだに力強く残っている砲台からは、様々考えさせられました。

 

続いて、砲台に向かう道中にある防空壕を教えてもらいました。

ジャングルで生い茂った草の中に突然入口(穴)があり、教えてもらわないと気付かないくらい小さな入口でした。

 

中に入って数m歩くと、十数人は肩身を寄せ合えるくらいの広さの壕になっていました。

 

日本から来た友人のおかげで、アルモノグイ州の戦跡を訪れることができました。第二次世界大戦中、私が住んでいるパラオ本島(バベルダオブ島)では、米軍が上陸することはなかったものの、空襲によって大きな被害があったそうです。また、海上を包囲されてしまい、物資の入手が困難になったことで、餓死で亡くなられた方々も多かったそうです。日本人として、もっともっと勉強していかなければならないし、伝えていかなければならないと改めて思いました。

この友人とは、ペリリュー島にも一緒に行きました。「ペリリュー」は太平洋戦争の激戦地として有名な場所で、ペリリュー島・アンガウル島で激しい戦いが行われ、たくさんの方々が亡くなられました。ペリリューについてもまた後日のブログでお伝えしたいと思います。