Alii!! 南の島パラオから「こんにちは」

青年海外協力隊(2023年度1次隊)としてパラオの小学校に派遣されている中学校英語科教員が、パラオでの様子を日本の皆さんにお届けします!

036 インターセッション Inter Session

文化啓発週間が終わると、3週間のインターセッション(長期休み)がありました。3週間のんび~りパラオの大自然を満喫して過ごすことができました。

 

🏫補習授業

インターセッション中といっても、1週間だけは補習授業があります。勉強が苦手な生徒を対象に、午前中だけ補習授業

 

ただ、教室で勉強していても飽きちゃうので、外に出るか!ということになり、青空教室開催✨学校の近くの港(Dock)へ散歩がてら出てきました。

 

急にカッコイイ写真撮影会が始まったり…

 

突然集合写真撮ってみたり…(ちなみに、小2と小3の少年たち)

 

ボートに手を振ってみたり…

 

昼寝してみたり…と、とても勉強どころではありませんでしたが、気分転換にはなったのでOKとしよう!

 

帰りは大きな葉っぱで日よけの傘を作って帰りました。きれいな海が身近にあるのって、やっぱりいいなぁ!

午前授業の後は、ちゃんと給食つき。

パラオ版「コロッケ」の作り方を教えてもらいました。

 

刻んだ空心菜に小麦粉やら卵やら牛乳やら塩やらをかけて混ぜ混ぜ…。

 

そして、揚げる!

 

日本でいう「かき揚げ」がパラオでは「コロッケ」と呼ばれています。空心菜は、パラオでよく採れる野菜No.3には入るほど。日本ではそんなに食べたことはありませんでしたが、パラオに来てから大好きな野菜になりました✌

 

🐚マンドゥールに挑戦

とある晴れた土曜日は、ずっと挑戦したかった「マンドゥール」(Mengduul)に連れて行っていただけることになりました。

 

出発地は、家の近くのおなじみの港(Dock)。

 

このボートに乗って、近くのマングローブ林まで出発です!!

 

ボートに乗ること、たったの5分。アイメリーク州内の小さな無人ビーチに到着。見ての通り、マングローブの芽だらけ。

 

マンドゥールに使う道具をタライに入れてぷかぷか浮かせながら、いざマングローブ林へ出発です!

 

剣山のようにとがったマングローブの赤ちゃんに気を付けながら、林の中へ進んでいきます。

 

ジャングルジムみたいに入り組んだ、マングローブの根!パラオの子ども達は、こんなところもスイスイ登っていきます。

 

私も必死に後を追う…。めちゃくちゃ滑るし、滑り落ちたらマングローブの剣山が待っているしで、なかなか緊張感が漂います…🔥

 

パラオっ子達は、もちろん裸足で!!!

 

マングローブの根の下は、こんな風に泥沼になっています。ぐちょぐちょになった泥に足元を取られながらも、必死に前進…🔥

 

ようやく、奥地へ到着!!「マンドゥール」とは、足でマングローブ貝を探して採ること。写真のように、ベテランのマダム達が、腰まで泥に浸かりながら、足をクイクイっと動かしてマングローブ貝を探すのです…。

 

そして、片手には、ビール!🍺 ちびちびとビールを飲みながら、数時間かけて泥の中で貝を探し続けるマダム達…、まさに猛者。ちなみに、マングローブ林の中はがとにかく多くて、体中を刺されまくりながらのマンドゥールです🦟

 

私も、この満面の笑み☺楽しそうにしていますが、泥に足元が取られるので、一歩歩くのに5分くらいかかります。ちなみに、2時間くらい泥に浸かっていて見つけたのはたったの4つ。これでも、「初心者にしては上出来だ!」とたくさん褒めていただきました。笑

 

お昼ごはんはビーチに戻って、きれいに体を洗ってから、キムチとスパムの缶詰。手で食べるのがワイルドなパラオ流です。マンドゥールのお手伝いに来ていた中高生の学年の少年たちと昼ごはん。

 

私は子ども達と一緒に1時間×2セットくらいのマンドゥール体験でしたが、マダム達は昼ごはんも食べずにぶっ通しで5時間くらい泥沼の中にいて、マンドゥールをしていました。そして、この戦利品たち!!!マングローブ貝は結構高く売れるのです💰

 

戦利品や各自持ち寄った食材をディナーテーブル(中央の発泡スチロール板)に乗せて、海の中へ…。海の中で夕日を見ながら最高のワイルドディナー🍴をいただきました。

 

いつものDockに戻ってきたときの美しい夕日。パラオのディープな休日にお付き合いさせていただいた一日でした 。マダム達、恐るべしでした🔥

 

 

 

🏊ピクニックへ

この日は、ピクニックへ。「ピクニック」というと、日本では丘の上でサンドイッチを食べるようなイメージですが、パラオではもちろん海沿いで魚を食べるのがピクニックです!

 

まずは、魚を現地調達。バス運転手フランシスに魚の捕り方をレクチャーしてもらいました。

 

イワシ達がたくさん網に引っ掛かりました!大漁、大漁🐡

 

イワシ達を丁寧に一匹ずつ網から取っていきます。

 

血抜きをしながら、乾杯🍺パラオでは日本のAsahiが大人気。ビールといえばAsahi!と口を揃えていう感じです。

 

持ち寄ったお肉や野菜をバーベキューしたり…。

 

月が出るまで、皆でのんびりしゃべったり食べたり飲んだり…。楽しい休日になりました✨

 

ちなみに、パラオで焚火をするときは、古いココナッツの皮をよく使います。どこにでもあるし、よく燃えるので便利🔥

 

 

 

🎣釣りへ

この日は、お隣のガッパン(Ngatpang)州のDockへ。

 

夕日を眺めながら、釣りです🎣ちなみに、釣り竿を使わずに、釣り糸だけで釣りをするのがワイルドパラオスタイル。

 

同僚の先生達と、キャッキャ言いながら釣りを楽しみました🎣ちなみに、私は0匹…。釣り糸だけのせいか?難しい!

 

Asahi夕日。(ちなみに、パラオでだけ売っているパシフィックブルーAsahiという商品もあるくらい、Asahi大人気🍺)


夕日を眺めていたら、海の奥からよく知っている人が…!なんとバス運転手フランシスがボートに乗って漁をしていました。

 

私もちゃっかり乗せてもらいました。小さなボートに、1本の竹の棒だけで操縦しています。

 

フランシス!海と夕日に映える漢!ボートの上は魚でギッシリでした🐡

 

 

 

🧹旧日本海軍墓地清掃へ

インターセッション中、子ども達と一緒にただ遊びまわっていたわけではありません。都市コロールにある旧日本海軍墓地の清掃があったので、お手伝いに行ってきました。

 

たくさんの墓碑や慰霊碑。

 

パラオと気候が似ていることもあり、戦前はたくさんの沖縄県民の方がパラオへ移住していたそうです。

 

以前、ペリリュー島を紹介する記事

027 ペリリュー島へ① - Alii!! 南の島パラオから「こんにちは」

でもお伝えしましたが、激戦地となったペリリュー島から復員した34名の方達に天皇陛下が残したお言葉が慰霊碑に掘られていました。

 

 

たくさんの慰霊碑。日本各地からパラオへ出征し、多くの方が亡くなったことがわかります。普段、この墓地は定期的にパラオの「日本人会」グループが清掃をしています。平和への誓いを新たにした一日になりました。

 

 

 

🍜その他もろもろ

なんと、先日、パラオに日本のラーメン屋がオープンしました!あまりラーメンに詳しくはないのですが、大阪で人気のラーメン屋だとか…?

 

同僚の先生方と一緒にラーメンを食べに行ってきました!一番ベーシックなラーメンが「GENTEN」という名前。「ジェンテン」じゃなくて「ゲンテン」って読むんだよ!原点ってオリジナルっていう意味なんだよ!と熱弁してきました🍜久々のラーメン、おいしかったです☺

 

こちらは、ホームステイ先でMomが育てているネギ。

 

ネギの花なんて、初めて見ました!かわいくって感動🥰

 

美しい海、いとをかし。

 

夕暮れ時も、またいとをかし。今日も大自然に感謝です。

035 文化啓発週間

4学期制のパラオ。3学期末の3月中旬に1週間かけて「文化啓発週間」が行われました。全国で一斉に始まる文化啓発週間。この期間は、普段の国数英理社の科目の学習ではなく、文化についての学習を学校ごとに計画して勉強します。

 

 

 

🐖1日目…ブタとカメのと殺

まずは、1日目がスタート。この週間は、曜日によって「色」だけが決められていて、制服ではなく好きな服を着てOKという期間です。初日はから!

 

普段体育を行っている広いグラウンドに、テントをたてます。アイメリーク州に勤めている大人たちが来てくれ、子ども達はそのお手伝い。

 

テントを建て終わったら、ココナッツの葉っぱをさく作業。パラオではココナッツの葉っぱを使ってカゴを作ったり、葉っぱで魚を巻いたり、とにかくいろんな場面でココナッツを使います。ココナッツを使いやすいように、細くさいて準備!

下準備が整ったら、いよいよこの日のメインイベント、ブタとカメのと殺へ。港(Dock)でブタとカメをさばきます。動物をさばくのは男性の仕事。高学年の男子たちと共にDockへ向かいました。

 

養豚場から連れられてきたブタをと殺。切りやすい状態にするところまでは、大人がやってくれます。普段いただいている豚肉に感謝をしながら、ブタのと殺を皆で見学。ちなみに、奥のカメはまだ生きています。

(【と殺】…家畜など動物を食肉・皮革などにするため殺すこと)

 

ブタのと殺が終わった後は、ブタを焼いて毛を抜く作業を2回ほど行い、それから豚肉を切る作業が始まりました。パラオでは、豚肉を切った後に、いくつかのココナッツのかごに分けて入れて蒸し焼きにする…という伝統文化があります。切る順番や切る部位もちゃんと決まっていて、大人たちの説明を聞きながら、子ども達も懸命にさばいていきました。

 

「こんなに大きな豚肉見たことない!」と言いながらも、必死にさばきます。さっきまで生きていたブタの肉。感謝の心で私も少しさばかせてもらいました。

 

続いて、カメのと殺。パラオではお祝い事の時などに、カメを食べます。とっても高級食材です。この日は、カメのと殺のために、全長1mは超えている大きなカメ2匹を保護者達で捕まえてきてくれました。まな板にのせられるカメ。

 

カメのと殺は慣れている子どももいるようで、ほとんど全部8年生(日本でいう中学2年生)がさばきました。頭から腸まで、もちろん甲羅や最後の血の一滴も無駄にしません。大事に大事にさばいていきます。

カメのと殺でちょっと感じたこと…。カメはさばいている途中も生きており、必死に動きながら人間を噛もうとしたり逃げ出そうとしたりしていました。そのたびに、「コラ!」と叩く子ども達を見ていて、まさに実写版・浦島太郎の状態…。「かわいそうだよ!やめなよ!」と言ったら「なんで?もう死ぬのに?これを食べるんだよ?」と真顔で返されました。彼らにとっては、カメは魚とかわらないんだ…。魚をさばくときに魚がはねるから引っ張ったり抑えたりすることは普通なのに、カメの場合はかわいそうだと思ってしまう私って…。となんだか色々考えさせられました。

日本ではなかなか目にする機会はないけれど、スーパーで売っている豚肉や牛肉も、誰かがこういう「と殺作業」をしてくれているから食べられています。食べ物として「命」をいただいていることに感謝しながら、おいしく残さずいただかなきゃなぁと改めて思いました。

 

ブタとカメのと殺の後は、魚の下準備。実はこの日、「1人3匹の魚を持ってくる」のが宿題になっていました。土日にそれぞれ釣りに行って捕まえてきた魚たちのうろこをとり、内臓を取り出していきます。ナイフを使った作業も皆、お手の物。(ちなみに、「魚のうろこ取るぞー!」と先生が言った瞬間に、Tシャツを脱ぎ始めた男子たち。うろこはTシャツに付くと、取るのが結構めんどくさいものなのです。阿吽の呼吸にびっくり。笑)

 

その頃、女子たちは…タロイモの収穫のため畑に行っていました。保護者や地域の方達に教わりながら、タロイモを掘ってきたそうです。

パラオでは、男性の仕事・女性の仕事が見事に役割分担されています。力仕事は男性、畑仕事や台所仕事は女性というイメージ。この日は一日中、男子と女子で行動が分かれていました。

1日目の授業の様子についてはYouTubeで動画をUPする予定なので、完成したらぜひご覧ください✨

 

 

 

🍣2日目…パラオ伝統料理の準備と日本料理体験

2日目は、昨日下準備をした魚を、ココナッツの葉っぱで包みます。葉っぱで包んでから煮ると、煮崩れしなくなるというわけです。ちなみに、2日目のカラーは見ての通り

 

私もちゃっかりマンツーマンで教えていただき、魚巻きチャレンジ!最終的には上手に巻けるようになりました✌

 

完成した魚たち。この魚は翌日のご馳走にそなえて、また冷蔵保存!

 

また、前日に切った豚肉をココナッツのかごに入れていく作業は最高学年の生徒達が。このココナッツのかごは女性陣が作ってくれていました。ここでも男女で役割分担がはっきりしているパラオ。

 

そして午後はお待ちかねの…日本文化体験!日本料理を皆で作って楽しみました。

低学年は、いなり寿司&巻き寿司

 

中学年は、たこ焼き

 

高学年は、もちつき

どのブースでも、私一人では回せない…と思い、JICAの仲間や日本人の友人に来て手伝ってもらいました。どこも盛況でしたが、特にたこ焼きは大人気でした。

2日目の授業の様子についてもYouTubeで動画をUPする予定なので、完成したらぜひご覧ください✨

 

 

 

💃3日目…ダンスパーティ&ご馳走

3日目は、伝統ダンスの練習とパラオ文化をちょこっと体験。この写真はゴム飛びをしている子ども達です。ゴム飛びは戦前に日本からパラオに伝わったもので、パラオ人は「イチダン」と呼んでいました。私は知りませんでしたが、ゴム飛びを「一段」と呼んでいる日本の地方もあるそうです。ちなみに3日目のカラーは見ての通り、

そして、なんと午前授業が終わったら帰宅。この日は夕方からのダンスパーティとご馳走に備えて、皆夕方まで家で準備です!

 

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3日目(昼)の様子についてはYouTubeで動画をアップロードしています。是非ご覧ください☺

 

そして、夕方5時に再登校。ここからは、なんとアイメリーク小学校だけでなく他の2校も参加して大パーティです!お隣のイボバン(Ibobang)小と北の離島カヤンゲル(Kayangel)小が来てくれました。

 

まずは、パラオ伝統料理だらけのご馳走!左上が、月曜日にさばいたばかりのカメ肉の料理「フリータダ」。(フリータダという名前の由来…昔は食べていなかった部位で無料で食べられるからフリータダというらしい。)左下は、月曜日に女子たちが掘ってきたタロイモ!真ん中上は、月曜日にさばいたばかりの豚肉料理。一番右は、火曜日にココナッツの葉っぱを巻いたばかりの!自分たちで準備をしてきた料理がお皿に並ぶと、圧巻です!

 

ご馳走をいただきながら、男女に分かれて伝統ダンスの披露。

 

女子も男子も、練習の成果を出し切ることができました!

 

そして、ダンスが続くこと数時間…。夜11時にやっとお開きになったかと思ったら、この夜はなんと公民館でお泊り。3校の生徒や教員、保護者がそれぞれ布団を持ち寄り、あちこちで寝転んで就寝します。私も子ども達と一緒に寝てみましたが、蚊🦟の襲来に合い、ほとんど眠れませんでした…。普段ステイ先で使っている蚊帳の大切さを痛感😢

 

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3日目(夜)の様子についてもYouTubeで動画をアップロードしています。伝統ダンス、是非動画でご覧ください☺

 

 

 

🏃4日目…大ウンドーカイ

最終日の4日目は、さらにアルモノグイ(Ngeremlengui)小を招いて4校合同大ウンドーカイ。ちなみに、パラオ語でも運動会はウンドーカイなのです。4校の子ども達約100名を8チームに振り分け。

 

まずは準備運動から…。円の真ん中で必死に指示出しをする私😅

 

パラオならでは!のスピア(Spear)競技では大盛り上がり。左側のコーンから右側のバナナの茎にやりを投げ、刺さったら得点が入る…という魚突きをモデルにした競技です。

 

こちらは、ココナッツを剥いた後に、頭の上のカゴに入れて運ぶ…というココナッツリレー。こちらもパラオならでは!盛り上がりました。

 

(勝手に)JAPANを背負って奮闘する私。ぶっつけ本番の運動会でしたが、各校の先生方が手伝ってくださり、なんとか楽しく大ウンドーカイを終えることが出来ました。

 

ウンドーカイの後は、巨大ケーキのカッティング!せっかく運動をしたばかりなのに、それ以上のカロリーを摂取するパラオ…さすがです!笑 4校の子ども達が一斉にケーキにナイフを入れた瞬間の写真。皆、楽しかったね☺

 

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4日目の様子についてもYouTubeで動画をアップロードしています。子ども達の白熱したココナッツリレー、是非動画でご覧ください☺

 

今回の文化啓発週間については、なんと新聞に掲載していただきました!(勝手に)JAPANを背負った赤Tシャツの私も、ちゃっかり一面デビュー

パラオは人口がたったの18000人しかいない小さな島国です。だからこそ、「私達の文化を次世代に残すんだ!」という大人たちの熱意が伝わってきた、素敵な文化啓発週間でした。アイメリーク州は小さな州だからこそ、学校だけでなく、保護者や地域の住民も一緒になって準備や片付け・行事の進行をしていく様子に、私自身もすごく楽しむことが出来たし、これこそが「学校だけでなく地域の中で育てられている子ども達」だ!!と、とても勉強になりました。

そして…。しれっと記事内で載せていましたが、アイメリーク小学校のYouTubeチャンネルを作ることになりました。

Aimeliik Elementary School - YouTube

慣れない編集作業で必死の日々を送っておりました…。(だからブログの更新がなかなかできていなかった…という言い訳😅)ブログよりもさらにのんびりペースになるかと思いますが、YouTubeもちょくちょく更新するかと思います。私の日本語のぼやきやツッコミもたまに入っていますので、是非YouTubeもお時間あるときにご覧ください☺

034 パラオ最高峰登頂

🏫3学期もおしまい

4学期制のパラオでは、7月1学期が始まり、3月でいよいよ3学期が終わろうとしています。相変わらず3年生はかけ算九九に苦戦中😅

 

「なるべく楽しい方法で!」と、担任の先生がかけ算ゲームを引っ張り出してきて、皆で楽しみながらも九九の特訓です!

 

3学期が終わるということは…実はパラオの学校にとって大切な1週間が始まります。それが「Cultural Awareness Week」、つまり「文化週間」です。1週間かけて、普段の5教科の学習ではなく、パラオの伝統文化を学んでいくという取り組みです。その準備が始まりました。

 

パラオといえば、伝統ダンス!高学年男子・高学年女子・低学年の3グループに分かれてダンスの練習がスタートです!

 

単純そうに見える動きでも、意外と難しい。ステップをひたすら踏み続ける練習を45分ずっと続けたり…。

 

「そんな踊り方じゃだめだ!」と先生に注意されて涙する男子もいたり。



アメリカから来た転入生に手取り足取り教えてあげたり。

 

練習後にミーティングをして、反省点を共有したり。

 

時には赤ちゃんに癒されたり…と、文化週間に向けて学校内でどんどん熱が高まってきました🔥真剣な子どもたちからたくさんパワーをもらえます🔥

 

バス運転手フランシスも、学校の看板を新しくするためにアートの力を発揮していました✨文化週間、とっても楽しみです!

 

 

 

🚬NO薬物・NOタバコポスターセッション

この週は、NOタバコ・NO薬物のポスターセッション大会もありました。大会実行委員が学校に来校し、その方達の前でポスター発表。

 

優勝チームのポスター発表。かなり凝ったデザインです✨

 

こちらは、準優勝チーム。

 

ポスターに「NO TO MARI」とあります。「MARI」とは、マリファナのこと。パラオではマリファナが身近なところにあり、常習者や逮捕者もしょっちゅう出ています。この取り組みを通じて、少しでも薬物依存者が減ってくれればいいなぁと心から思います。

 

ポスターセッション入賞チームには、なんと賞金が!!💰日本では信じられませんが、学校で行うような小さな大会でも、賞金が出るのです。子どもは大喜び。一番のチームで20ドル(約3000円)入っていました。

話は変わって…。3学期最終週は体育の授業もなく、わりと時間にゆとりがある日々だったので、ずっと気になっていたサッカーゴールの修理に踏み切りました!

 

体育倉庫で眠っていた古いバスケットボールネットとグルーガンを使って

 

サッカーゴール(といってもフットボールサイズですが…)を修理!!!

 

慣れないグルーガンに苦戦しながらも、なんとか完成😅子どもたちはサッカー大好き。このゴールが少しでも長持ちすればいいなぁ…。

 

 

 

🚘ガラスマオ州探検

土日を使って、ガラスマオ州(Ngardmau)の探検に連れて行ってもらいました!我が任地アイメリーク州(Aimeliik)から北上すること、車で約40分。

 

まずはじめに、ガラスマオ州に入ってすぐのところで第二次世界大戦中から放置されている大砲へ向かいます。

 

パラオ本島一周道路から内陸側に入って獣道を歩き続けます。

 

お、大砲らしきものが…!!

 

こちらが、ガラスマオの大砲。

 

銃口は海に向かっています。パラオで第二次世界大戦中の大砲や建物を見かけるのは日常茶飯事。日本では全く考えられない光景ですが…。平和ボケをしてはいけないなと改めて思わされます。

 

いよいよ、ガラスマオ州の村内へ。こちらも「ザ・日本統治時代」の自動車等が。ガラスマオ州は現在は250人ほどしか住んでいない小さな州ですが、日本統治時代はパラオで第二の都市だったそうで、かなり多くの日本人も暮らしていたそうです。

 

州の中心地へ。中央の大きな葉っぱはタロイモ。

 

ガラスマオ探検のはじめに、ストアに寄ってもらいました。「NTA」というストア名の後ろに描かれているのが、ガラスマオの州旗です。

 

お弁当をごちそうになりました😢(弁当はパラオ語でもベントー)左から、タマ・スパム寿司。


まずは、ガラスマオ小学校へ。

 

なんと、校舎の改修が今年ちょうど終わったばかりで、日本からの援助金で行われていたそうです!あまりに直近の話題だったのでびっくり。「GRANT AID FROM THE PEOPLE OF JAPAN」(日本の人々からの援助を受けて)と書かれています。

 

きれいになったばかりの校舎。なんとクーラーも完備されているそうです!!

 

ただ、なんと校庭の真横にはたくさんの穴が…!

 

この穴は、実は日本統治時代から残っている防空壕です。防空壕も、パラオ語でボークーゴー。防空壕の多さから、いかに多くの人がここに暮らしていて、このガラスマオ小学校でたくさんの人が避難する必要があったのかと感じさせられました。

 

続いて、港(Dock)へ。港には、大きな建物の跡が残っていました。これも、もちろん日本統治時代…つまり80年以上も前から残っているもの!

 

二階建ての立派な建物でした。今でも階段を使って上に上っていけます。

 

建物の一番上から見た景色。この建物は、日本統治時代、ボーキサイトの採集場として栄えていたガラスマオ州で、ボーキサイトの運搬のために使われていたものだそうです。

 

西側には広い海。

 

床に穴が空いていたりもしますが、まだ頑丈に残っています。

 

この建物が100年近くパラオをずっと見守ってきているんだよなぁとしみじみ…。当時、パラオ本島へは米軍の上陸はありませんでしたが、空襲と食糧難でパラオの人々も大きな被害を受けたそうです。

 

下から見ると、こんな感じ。右側の縦長の建物の上にレールが見えており、ボーキサイトを運んでいたことがわかります。

 

近辺にも何かの建物の跡が。ガラスマオ州が本当に栄えていて立派な建物がいっぱい建っていた…ということがよくわかります。

 

この奥に見える山々から、ボーキサイトがよく採れたそうです。

 

ここにも、大きな建物の柱と思われるもの。日本の建築技術は秀でていたため、日本時代の建物を壊さない(壊せない)まま放置してあることがよくあります。

 

そして、ここは「ジンジャ」と呼ばれている場所だそうです。いまだに神社の鳥居があるんだとか…。でも、今は私有地になってしまいて中を見ることはできませんでした。

 

 

 

⛰パラオ最高峰登頂

そして、ガラスマオにはパラオ最高峰の山があります!ゲルエレウース山🏔登山開始!

 

ずっと雨が降っていた一日でしたが、なんと登山直前に雨が止むという奇跡!

 

砂利道が終わったら、赤土の坂道をひたすら上っていきます。「電線に沿って歩くように」と教えてもらいましたが、山頂まで電線が続いていました。

 

ついにパラオ最高峰登頂!!なんと、標高242m片道30分です!笑

 

晴れていたらもっときれいな海が見えただろうなぁ~。

 

242mという低山でしたが、360°見渡すことができて、パラオ本島すべてを見えたような気がしました。晴れの日にまたトライしたいと思います!

 

 

 

🏠刺激たっぷりホームステイ生活

洋服を着ているバナナ🍌

 

ハエが寄らないように、ネズミにかじられないようにするには、こうやって服を着させて吊るすのが一番いい方法なんだそう!熟すのを待ちたいと思います☺

 

チビバナナ発見。かわいい🍌

 

突然野焼きが行われていることもあったり…。野焼きに意味はなくて、楽しむためだけに火を起こしているんだとか…😅

 

我が家の近くの敷地で遊んでいる子ども達がいたので、突然野球練習会が始まることも。庭でワイワイみんなで野球をしました。

 

さて、ここからはアイメリークの道シリーズ。アイメリークは舗装されていない道も多く、しかも熱帯雨林気候のために土砂降りの雨が降ることもあって、砂利道は崩れやすくて危ないです…。

 

コンクリートの道のありがたさを感じます。左へ行くと学校、右へ行くと我が家。

 

この道は、私がアイメリークに赴任したときからずっと工事中の道。だんだんコンクリートの道が延びていてありがたい😢

 

アイメリーク名物のバイ(昔の集会所)も砂利道の道沿いに。


雨がふと止んできれいな夕日が見れたときは、最高。

 

この日は満月。満月はパラオ語でOrakiruu(オラギルー)。美しい月と星が空に輝いていました。美しい自然に今日も感謝。

033 バスケットボールトーナメント

💵お金の勉強

さあ、今日も元気にアイメリーク小学校へ通勤!自転車で毎日通勤していますが、上り坂を上り切った時に見えるこの下り坂&海&奥には都市コロール…お気に入りの景色のうちのひとつです☺

 

給食はいつもおいしい。

 

珍しくメニューにマカロニが出ることも!!

 

こちらは、雨の日の体育の授業。Kinder(幼稚園生)~2年生。教室内でダンスをして楽しく体を動かしました。

 

さて、ここからは算数の授業。1・2年生の算数の授業を3学期はずっとメインで教えてきました。3けたのたし算・ひき算は、くり上がり・くり下がりありの難問も含めて、ほとんどミスなくできるようになってきました😢毎日の練習の成果!

 

こちらは3年生。なかなかかけ算九九が覚えられないので、ミニブックを作って暗記の練習です!

 

さて、最近の算数の授業ではお金の勉強をしています。パラオにはパラオ特有のお金はなく、アメリカのドルを使っています。

 

ドルセント。特にクォーターコイン(25セント)が、計算のときに難しいのでやっかいです😅

 

この日は、お金の授業でお店屋さんごっこ。担任の先生がおやつをたくさん作って持ってきてくれました。

 

お店の名前は、「PGSTストア」。PGSTとは、パラオで2023年から始まった新しい税金のことです。このPGSTのせいでどんどん物価が上がって困る!と皆嘆いています😅

 

一番の人気商品はコーンドッグ(50セント)。おつりを計算しながら、皆でお店でお買い物です!

 

次は何を買おうかな~。私もしっかりお客さんとして参戦!

 

「残ったお金は貯金しようね~」なんて言いながら食べおさめる、楽しい楽しい算数の授業です!

 

せっかくだから、他学年も招待しよう!3年生もPGSTストアに買い物に来てくれました。

 

お次は先生もご招待!!高学年の先生もおやつを購入!大人なので爆買いして帰っていきました😅

 

あっという間に売り切れて、閉店(Close)。「お店屋さんごっこをやりたい」と3学期のはじめに担任の先生に伝えていましたが、まさか実際に食べ物を買えるお店屋さんを作ってくれるとは!算数の授業中にみんなでおやつを食べてワイワイできる…食べることが大好きのパラオならではの楽しいお金の授業になりました☺

 

 

 

🏀バスケットボール

2学期の最後に行う予定だったバスケットボールトーナメント。2日間かけて、セントラルスクール(中央の学校、つまり都市コロール内の小学校)ノンセントラルスクール(本島の学校、アイメリーク小学校など)でトーナメント戦を行いました!子どもだけでまずは準備運動。

 

会場にいる全員で準備運動をしてから、試合開始です🏀

 

人数が少ない学校もあるため、3on3のバスケ大会になりました。3on3特有のルールに苦戦しながらも、ベストを尽くします!!アイメリークからは、男子2チーム、女子1チームが出場しました。


試合の合間の自由時間には、全校入り乱れての自主練習!ボール10個以上、人間50人以上。よくこんなにいるのに怪我をしないな…と思ってしまうくらい、全員で入り乱れながらも練習タイム。これが、パラオっ子のたくましさ😅

 

2日間かけて都市コロール内にある高校の体育館で行われたトーナメントでしたが、いよいよ閉会式。

 

試合間の隙間時間で自主練習をしたり、チーム内でアドバイスし合ったり、試合に負けたのが悔しくて泣いたり、同じ学校のメンバーを応援し合ったり…。男女共に試合ごとにチーム力がどんどん上がっているのを感じられたトーナメントでした。

 

各チームごとに、チーム内での得点王を表彰してもらいました。パラオで有名なバスケットボール選手からメダルを渡してもらい嬉しそうなこの表情!

 

女子チームは4チーム中3位。

 

男子チームのうちの1つは、全体10チーム中3位の大健闘。

 

トーナメントが終わった後は、大きなトロフィーを持って学校に凱旋です!集会で皆の前でもう一度表彰式。

 

この表情☺皆、がんばったね!おめでとう!!

 

トーナメント大会直前は週3で練習をしてのぞんだ大会でした。しばらくは職員室内にこのトロフィーが飾られることになりそうです🏀

 

 

🏠刺激たっぷりホームステイ生活

ホームステイ先の玄関から見える、美しい空。写真では伝わりづらいですが、見事なピンク色の空でした!

 

ホームステイ生活は、毎日が刺激的。謎のきれいな花をいただいて紅茶にしてみたり…。

 

突然チョークでお絵描き大会が始まったり…。

 

この日は、庭に生えているココナッツを採ろう!ということになりました。高いものは10mくらいありそうなココナッツの木。

 

10才のホストキッズJordanがココナッツの採り方を教えてくれました。(このココナッツは高さ3mくらい。)

 

まずはハシゴを立てかけて、上ります。包丁を片手に持って行くのを忘れずに。

 

ココナッツの実に到達したら、包丁で切って実を落とす!

 

揺れるハシゴの上で包丁を大振り。なかなか切り落とせません…。四苦八苦しながら、必死に包丁で切り落とす作業!

 

ココナッツの実が切り落とせたら、お次は皮をはぐ作業。大きな包丁を使って、皮をはぐ…というよりは削っていきます。

 

ひたすら削る削る削る…。これも堅いので、結構大変。

 

ある程度、皮をはぐことができたら、次は飲み口を作ります。

 

包丁でグリグリっと穴を空けて、完成🥥この穴からそのまま飲んだり、たまにストローを入れてオシャレに飲んだり。100%ココナッツジュースもおいしいですが、ミルクを混ぜてもまたおいしい!ココナッツは実は貴重な水資源。飲料水がすぐに手に入らないような国では、ココナッツがとても重宝されているそうです。

 

ちなみに、ココナッツの皮は焼くとよく燃えます🔥蚊を寄せ付けなくするために、夜になるとよく燃やしています🔥

この前、日本の小学生と交流授業をしたときに、「ココナッツはあちこちで生えているから、無料で飲み放題」と言ったらとても驚かれました。いつでもココナッツを食べることができる環境に感謝しつつ、一人でココナッツをスムーズに採って剥いて飲めるようになりたいと思います🥥

 

本日のおまけ夕日画像。こちらの夕日は私が住んでいるアイメリーク州…ではなく、都市コロール内にあるミューンズというところで見た美しい夕日です。水面に映る雲がまた、きれい。美しくて豊かな自然に、今日もまた感謝。

 

032 オサライに大奮闘

🥰バレンタインデー

今日も平和なパラオ、アイメリーク州より。なんと電線に見えるのは…

 

ツバメです!パラオ語でもツバメは「ツバメ」。しかも、このツバメ達は秋の頃に日本から来て、春には日本へ帰るそうです。ツバメを通して日本と繋がっているなんて…!ロマンがあります🥰

 

さて、2月14日はバレンタインデーでした。朝ごはんの給食は、今まで見たことのない手抜きメニュー?!のナゲット丼。野菜が全くないので、子どもからは大人気でした…😅


バレンタインデーにちなんで、高学年がクッキーを手作り!低学年にサプライズで渡しました。

 

大量のハートマークのクッキーと、お皿に書いたメッセージ💛

 

「ハッピー バレンタインデー」の文字と共に。

 

日本では、女子が男子にチョコをあげる日…もしくは、女子同士で友チョコを交換する日…というイメージがバレンタインデーにはありますが、パラオでは男女関わらず、日頃お世話になっている人に愛をこめて感謝をする日のようでした。

 

算数の授業では前週に引き続きお金の勉強をしていましたが…

 

担任の先生がグミを持ってきてバレンタインデーサプライズ!言われた値段ぴったりのお金を先生がいる商店に持って行ったら、グミを買うことができるという授業で盛り上がりました。


ずっと同じ値段だと勉強にならないので、だんだん消費税が上がっていくから値段も上がっていくという商店。値段の高騰にも負けずに、3回もグミを買いに行けた1~2年生たちでした☺

 

 

 

🔵オサライに大奮闘

6年生と毎日一緒に受けているパラオ語の授業。「今週はオサライを作るよ!」と突然言われました。え、オサライって何…?授業のおさらいをするということ…?と思っていたら、なんとオサライ=お手玉のことでした。どうやら、お手玉の中のひとつの技の名前が「おさらい」と言うようで、それがそのままパラオ語に残ったみたいです。

さあ、いよいよオサライ作成開始!

 

8年生(つまり中学2年生)の大きな男子たちも必死になって縫い物に取り組みます!

 

少ない本数の針を使いまわしていたので、私が持ってきていたソーイングセットを提供して一緒に使いました。この針が並んできれいに刺さるソーイングセット、子ども達から大人気!!「日本では小学生は全員持っているよ~」と言ったら、とってもうらやましがられました。笑

 

1人3つ作るのがノルマ。パラオでは家庭科の授業はないので、こうしてパラオ語の授業でパラオの伝統遊びとなっているオサライを裁縫するというのは、とっても素敵な取り組みです☺

 

お米を詰めて、オサライ完成!(ちょっとサイズでかめ。)

 

中には、こんなに「必死に閉じたぞ~~!!」というようなオサライがあったり…。

 

謎の場所で縫われているオサライもあったり…。オサライひとつひとつに個性があふれます。笑

 

5~8年生全員がオサライを授業で作りました。

 

オサライを作った後は、投げる練習!片手だけで2つのオサライを交互に上に投げ上げます。腕が筋肉痛になるまでひたすら練習!

 

「10回できたら100点をあげる」という先生からのお話で、必死になりながらオサライ投げテストを受けます!

 

 

独特の緊張感の中、みんなで10回を目指す…🔥

 

私もなんとか10回ジャストで100点をとれました!!必死になってお手玉を練習したのなんて初めての経験でした!

 

「投げテスト」の次の授業は、「作成テスト」。オサライを1人1つ45分以内に作るというテストです。

 

袋の形ができたらお米を詰めて…。

 

「どれぐらい入れればいいんだっけ~」「テストだから教えられません☝」なんてやり取りをしながら、皆で無事に作成テストも終えました。日本の文化のお手玉が外国であるパラオでこんなに残っているなんて…!なんだか感動のオサライ授業でした☺

 

 

🛍突然始まったリサイクル

パラオでは、ゴミを分別する習慣があまりありません。換金できるペットボトル・缶のみ分別していますが、「リサイクルをしよう!」というよりは、「換金できるからちゃんと分けよう!」という感じで、リサイクルの文化が根付いていないのです。そんな中、理科の先生の一声で始まったのがリサイクル運動

 

ゴミをプラスチックや紙製品、ペットボトル、びん、缶など種類別に分けてそれぞれの重さを計るという取り組みです。しばらくの期間、計測をしてからリサイクルボックスの設置をする計画のようです。

 

学校中のゴミをかき集めてひっくり返し、一から分別。暑い中、そしてアリが群がる中、必死で分けていました。

 

コラコラ、手袋で遊ばない。



リサイクル記念で、はいチーズ!パラオではリサイクルの文化はまだまだ根付いていませんが、子ども達から始まってリサイクルが当たり前にできる社会になっていってほしいなぁと感じました✨

 

 

🏝ロックアイランド清掃活動

パラオの世界遺産は、なんといってもロックアイランド。美しいブルーのサンゴ礁に点々と浮かぶ445の島の固まりがロックアイランドなのですが、今回はそのうちの1つの島での清掃活動に参加してきました。

 

上陸後に見える、美しい海とココナッツ🥥

 

芽吹いたばかりのかわいいココナッツの赤ちゃんも👶

 

砂浜をふと見ると、美しい花が!!

 

この木から落ちたようです。

 

海をふと見ると、あれ…?なんだか大きな金属片。もしかして…

 

沈没した飛行機でした。プロペラや操縦席がよく見えるほど、きれいに残っていました。美しい島のパラオでたびたび見られる光景。80年も前の戦争がいまだに身近に感じられるのが、ここパラオです。

 

清掃活動は1時間ほどで終わり、あとの時間はロックアイランドでひたすらのんびり過ごしました。せっかくの白い砂浜なので、人魚に変身。腹筋を使う体勢がキツかった…。美しい海を大満喫できました。




🏠刺激たっぷりホームステイ生活

先日、帰宅してみると、大量のココナッツが🥥🥥🥥🥥「たくさん採れたから、ココナッツ削り職人を呼んだのよ~」とMom。

 

ココナッツ削り職人が、専用の機械と共に来てくれました。普段は手作業で削っていますが、量があまりにも多いので、職人にお願いしたとのこと。

 

大きなナイフでココナッツを割ってから、専用の機械で削り続けること数時間…。

 

大量のココナッツが削れました!!そして、このココナッツを布でこすと…

 

こんなココナッツオイルができます!ココナッツオイルは、日焼け止めや虫よけとして塗ったり、保湿用に塗ったり、ヘアオイルとして使ったり、超万能。ペットボトルに入れて友達にお裾分けしたら、超喜ばれました。(スーパーで買おうとすると5ドル=約750円は超える。)パラオではココナッツが生活にとっても身近です。

 

また、とある土砂降りの日に帰宅してみると…

 

なんと、停電!(スマホのナイトモードで明るく見えますが、真っ暗🌃)パラオで停電することはたまにあるようなのですが、私が住んでいるアイメリーク州は発電所がすぐ近くにあることもあり、今まで一度も停電を体験したことはありませんでした。初停電です!⚡

 

いざという時のための懐中電灯つきモバイルバッテリーが大活躍。この日は2時間ほどで電気が復旧しました。

 

また、休日は4歳児と花札で遊んだり。

 

全部並べたぞ~~。楽しそうで何より☺

 

木の上から降りられなくなったネコ。猿も木から落ちる…でなく、ネコも木から降りれず。

 

自宅から見えた美しい虹!雨降れば地固まる!ありがたいことに、ホームステイ生活も楽しく送らせていただいています☺

031 日本との交流授業で不覚にも涙

🥰おもてなしが素敵なアイメリーク小

今回は、アイメリーク小学校のステキなおもてなしについてご紹介!アイメリーク州は、パラオに16あるうちの1つの州で、パラオの旧首都コロールから車で30分ほどの場所にあります。州の旗は、グレー・黒・青に☆が5つ!

 

小学校の前には壊れかけの遊具(中央)と、校庭があります。すぐ隣にある建物は、州役所。今回は、アイメリーク小にサッカーがお上手な日本人の友人をお招きしました⚽

 

学校のすぐ隣にある芝生の広場で、サッカー特別授業!サッカーが大好きな子ども達なので、大盛り上がりです!!今回は、3~5年生のクラスを見てもらいました。

 

パス練習をした後に、ミニゲーム。ところどころ盛り上がりすぎるときもありながらも、皆で楽しくできました。

 

そして…。「せっかくゲストが来てくれたんだから!」と、先生方がパラオの郷土料理をたくさん作って来てくださいました。何人か知り合いや友人をアイメリーク小に連れて来ていますが、毎回おもてなしをしてくれる…パラオの方々の温かさが胸にしみます😢ちなみに、今回の料理はタピオカ&ココナッツ、魚のフライ、バナナフライ、タロイモ、そして…近所でとれたロブスター🦞

 

さらに、スターアップル付き。味はやや酸っぱいリンゴだけれど、形がスター☆おもしろい果物です!

 

話は変わって…。この前突然5年生の少年が「Apple Watchを買ってもらったんだ!」と言ってきました。Apple Watchといえば、あの高級品。まさか5年生で買ってもらえたなんて?!と思っていたら…

これがApple Watchだよ!と。……あれ?よく見ると…

 

ただのウォッチにAppleシールが貼ってあるだけ!大笑いしてしまいました!こんな温かくて笑顔あふれる学校で毎日活動をしています。

 

 

 

🐡パラオ唯一の水族館へ

また、1月のとある日。遠足でパラオ唯一の水族館に行く機会がありました!まずは、室内で講義を受けます。

 

講義の後は外に出て、いろいろな海の生物の勉強!Kinder(幼稚園生)から8年生まで全生徒が行ったのですが、それぞれブースに分かれて移動しながら説明を聞きました。ここでは、マングローブについての説明。

 

マングローブはものすごい量の二酸化炭素を吸収し、炭素として根に蓄えることができる!だから、マングローブは気候変動対策の鍵になってるんだよ~という内容でした!私も知らなかったことだらけでびっくり😲

 

パラオ本島の約70%マングローブで囲われています!二酸化炭素を吸収するだけでなく、小さな魚が食べられるのを守ったり、海岸線が土砂崩れを起こさないようにしたりと、マングローブは万能なんです!

 

マングローブ以外にも、あちこちのブースで、海の生物の話や、魚の形、海洋ゴミが増えている話など、色々な海にまつわる話を聞けました。

 

講義とブースに分かれた勉強が終わったら、いよいよパラオ唯一の水族館へ!

 

海の中身がそのまま見える!水族館に子ども達大盛り上がり。

 

たくさんのココナッツに見守られている水族館…なんともパラオらしい。

 

海と見事に隣接しています!

 

魚がたくさんだ~~~。

 

サンゴ礁の中身がそのまま見られました!

 

有名だというエビも!!

 

室内展示を終えて、見学が終わりました。思ってたよりも小規模な水族館でしたが(笑)、とても楽しくまわれました!

 

 

 

🗾日本との交流授業

ありがたいことに、日本の学校と交流授業をもたせてもらっています。こちらは、宮城県の小学校5年生とアイメリーク小5年生の交流。

 

第二回目の交流授業なので、前回よりもさらに内容を深めることができました。前回は自己紹介と地元紹介で終わりでしたが、今回はどんな家で暮らしているか…どんなペットがいるか…どんな気候か…などなど。もりだくさんの話題で、質問時間も盛り上がりました!

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こちらは、東京のとある小学校との交流授業。実は、私の母校の小学校との交流授業でした。そして、なんと、パラオと日本だけでなく、ヨルダンで活躍されている協力隊員とも繋ぐまさかの3か国交流授業!私が普段パラオでどんなことをしているか、どんな暮らしを送っているかを話させていただき、最後にパラオの子ども達と日本の子ども達で質問をし合うこともできました☺

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続いて、6~8年生は東京都の中学校と交流授業をもたせていただけることに。数日前から必死に準備&練習開始!

 

「伝統的なものを見たい」…というリクエストを受け、子ども達と相談した結果、男性が踊る「ルク」という伝統舞踊を披露することに!ルクは、たまにパラオであるイベントで何人かの子ども達が練習して踊っています。若い男性だけが踊ることのできる、歴史ある舞踊です。もともとは戦いに挑む男性が踊るものだったとか。

 

「やるからには適当ではなくちゃんとやろうよ!パラオの代表なんだよ!」と先生たちから叱咤激励を受けながらの猛練習!!…の裏では、先生のお子さんの0歳児の子守り👶子育てをしながら先生として働いている方がアイメリークにはたくさんいらっしゃいます。

 

そして、いよいよ交流授業がスタート!

 

こちらは12名。東京の中学校は1年生約70名!大勢の参加者に緊張しながらも、まずはパラオの発表タイムからです!

 

まずは自己紹介から!「日本人にもわかってもらえるように」と、ゆっくりハッキリ英語で話す練習を何度もしました。

 

続いて、パラオについての紹介。こんなに美しい景色を見ることができるんだよ~と伝えたり…

 

たくさんの日本語がパラオ語として残ってるんだよ~と伝えたり…。特に、「いくつの日本語の言葉が聞き取れるかな?!パラオ語クイズ」コーナーでは、日本の中学生にたくさんのパラオ語を聞いてもらえるいい機会になりました!

 

次はいよいよ伝統舞踊ルクの披露!…と思いきや、突然「準備に15分ほしい」とのこと😅突然の15分の空白でしたが、日本の中学生側がソロモン諸島のダンスで盛り上げてくれ、こちらも大洋州を感じながらノリノリの15分を過ごしました。

伝統舞踊「ルク」の衣装。この赤い布を巻きます。この布を見ると、「あ、今日ルクやるんだな!」と思わされるのです。

 

衣装の準備も終わり、いよいよ本番!大きな掛け声と共に、手で持っている木を叩いて鳴らしながら、入場します。(※本当は、ココナッツの葉っぱを額・手首・足首に巻くのがオフィシャル。今回は時間短縮のため、赤い布のみになったそうです。)

 

練習のときからそうでしたが、本番はさらに真剣に!!

 

約10分の演技が終わり、退場の挨拶。「パラオは小さくて人口も少ない国だけれど、私達の伝統を伝えるんだ!」という心意気が伝わってきた素晴らしい発表でした。普段はふざけてばかりいる男の子たちの真剣な表情に、感動…😢

 

日本の子ども達にはどんな風に映ったかな?

 

そして、お次は日本からの発表タイム!全員の名前を漢字で書いてくれました!右が「ワレン」。左が「ブレイク」。(個人的に、このブレイクが一番のお気に入り当て字でした☺)

その他、クイズや空手、バドミントン、キックボクシング、ソロモンダンス等…盛りだくさんの発表をしてくれました。改めて、ありがとうございました🥰

 

 

 

🌎同期隊員もあちこちで奮闘!

青年海外協力隊は教育分野だけでなく、様々な分野で活動されている隊員が世界各地にいます。パラオにもいろいろな職種の隊員がおり、あちこちで奮闘されています!

こちらは、野球隊員が行っている放課後野球教室。あいにくの雨でしたが、体育館内での練習を少しだけお手伝いしました。

 

ゴロを捕って投げる練習!小学生ながら、上手な子たちもたくさんいました!

 

そして、最後はベースボール5というミニゲーム。勝ち負けにこだわって大盛り上がりの子ども達に、「大事なのは勝つ負けるだけじゃない!チームメイトのことをよく見るんだぞ!」と野球隊員が熱い指導をしていました🔥

 

こちらは、セーリング隊員。セーリング…つまりヨットに乗る人のことです!パラオ内でセーリングの普及をするのが、活動の1つだということで、ヨット体験をさせていただきました。まずは倉庫を開けてヨットを取り出します。

 

実際に乗る前に、陸上でヨットの仕組みの説明。エンジンがないのに動くのは、風によって生まれる揚力を使っているから…!なるほど、なかなか奥が深くて難しい!!!

 

実際に乗ってみました!波がユラユラなので、普通に座って乗ることすらむずかしい😅

 

風向きを見極めながら、ヨットを乗りこなす私!

 

と思いきや…転覆😢風を読んだり、体重移動をしたりするのは、と~~~っても難しかったですが、貴重な体験ができて楽しかったです!セーリング!楽しい!

 

 

 

🏠おまけ

今日もまったり生きてゆく~~~。(このネコ、実は最近行方不明になってしまいました。また戻ってくるといいのだけれど…😢)

030 アケマシテオメデトウ

🎍オメデトウ!

年が明けてから1か月以上も経ってしまいましたが…。

新年最初の登校日に戻ります。新年最初の登校日は、日本らしいサプライズをしてやろう!とずっと企んでいました。

 

そして考えたのが、これ!お年玉です。お正月といえば、お年玉。それを知らないのはもったいない!と思い、子ども達全員にプレゼントを作りました。

 

お年玉ポチ袋の中には、おもちゃ銀行の10000円札

 

裏面には、3つの言語で「あけましておめでとう」を書きました。なんと、パラオでも新年は「オメデトウ!」と挨拶をします。ただ、これは「おめでたい」という意味よりも、「ご馳走ください」というニュアンスに変形して残っているとのことでした。ハロウィンの「Trick or Treat」みたいでおもしろい。このポチ袋を片手に、浴衣姿で各教室を練り歩きます…!

 

ここで、痛恨のエラー!浴衣姿でお年玉袋を渡しているシーンの写真が消えてしまいました😢また入手できたら、再度アップします…。子ども達は、「うれしい!」というよりは、「え…?!困惑!」という感じでした😅それもまた、文化体験。笑

 

偽10000円札に喜んでいた子ども達。「10000円=約65ドル」と伝えると、キャーキャー叫んで喜んでいました。実際にアイメリーク内の小さな売店で使ってみようとした子どももいたそうで、「日本で使ってね」とやんわり断られたらしい☺

 

低学年の算数の授業のお手伝いも再スタート。

こちらは、1-2年生の合同クラス。2学期に2けたの筆算の練習をしてきましたが、ただプリントをやるだけではおもしろくないので、サイコロを使ってみます!

 

ホワイトボードにサイコロで出た目を埋めて、たし算。数が大きいチームの方が勝ちで1ポイント。さらに、ちょうど100が出るとボーナスポイントが入る!というゲームで大盛り上がりでした。

 

こちらは、3年生。お金💰の授業です。

 

お金のレプリカがたくさんあるので、皆でわいわい言いながらお金を数える勉強をしました。

ちなみに、パラオではアメリカのドルを使っています。ドルのお札はそんなに難しくないのですが、難しいのがコイン。左から順に1セント、5セント、10セント、25セント。そして、100セント=1ドルです。

1セントと5セントはコインにも「ONE CENT」「FIVE CENTS」と書いてありますが、10セント(ONE DIME)と25セント(QUARTER DOLLAR)には、数字が書いていないので、まず混乱。そして、25セントが4枚で100セント、つまり1ドルになるということに、さらに混乱。しかもしかも、コインにはそれぞれ呼び名があって、「1セント=ペニー」「5セント=ニッケル」「10セント=ダイム」「25セント=クォーター」と呼ばれたりもします。さらにさらに大混乱…😅私も最初の頃は慣れずに戸惑いました。

 

子ども達にとっても、普段は見慣れているお金だけれど、なかなか数えられない。皆で必死になって勉強しました。

 

ペアで助け合いつつ勉強!

 

そして、こちらは、Kinder(幼稚園生)の算数の授業です。

 

2を2つに分けると1と1になるよね…というような、いわゆるさくらんぼ計算のはじめ。ブロックも使ってKinderにもわかりやすいように工夫されている先生です!

 

こちらは、数字をどう書くかを、輪ゴムで練習。えんぴつ書きだけだと飽きちゃうので、方法を変えて数字の形の練習。ここでも、担任の先生の工夫が光ります!

 

続いて、私が6年生と一緒に受けているパラオ語の授業ことわざの勉強をして、1人につき2つのことわざの意味と用例を考えて発表しました。

私が担当したのは「Ngkora char ra kosiil el lecheraches eng mong mal keriik eng mei.」と「Ngdi songsond e mrechorch a kauang.」。1つ目は、潮の満ち引きによってすぐに揺れ動いてしまう海藻のような人…つまり日本語で言うと「優柔不断」な人。2つ目は、小枝でもたくさん集まれば大きな鍋を沸かすことができる…つまり日本語で言うと「塵も積もれば山となる」。同じような意味のことわざなのに、表現の仕方が違うのがおもしろい!

(ちなみに、私は1つ目のことわざでは、優柔不断な人と買い物に行くと時間がかかるという体験。そして、2つ目のことわざでは、1日1話分だけ読めるマンガアプリで数年かけてNARUTOを読破した体験を発表したら、大ウケでした。ありがとうNARUTO☺)

 

毎日一緒にパラオ語を勉強しているクラスメイト達もことわざを一緒に勉強!

 

「A reched a ioud.」→はやいことは、つまり遅いこと…日本語でいうと「急がば回れ」

「Ngdiak betik rengii er recheroid e me douchii ra rebai.」→それは遠くでは見つからない。意外とあなたのすぐ後ろで見つかるもの。…日本語でいうと「灯台下暗し」

「Ngkora bukitang el meduch el meldelodech a bedengel.」→タコは環境によって色を変化させる…日本語でいうと「八方美人」

などなど、日本語と似ていることわざもあって、興味深い授業でした。

 

新学期は楽しく始まったものの、天気は悪い日が続きました…。昼休みにサッカーをしていたら突然の豪雨。でもすぐに止むこともあるので、とりあえず雨宿りをして様子をみます。

 

雨よ!どっかに行け!という願いを込めて、皆で歌を歌います。

♪Rain rain go away! Come again another day! Little children wants to play! Rain rain go away!

すると、なぜか本当に晴れ間が出てくる…ふしぎ!☀

 

晴れていると、草刈りもできるし…

 

昼休みのサッカーもできるし…

 

体育も楽しくできる!(写真は、Kinder~2年生の体育)やっぱり、晴れはいいですね☀

 

そして、こちらは体育倉庫。昨年の末にもらった大量のスポーツ用品に続き、また様々なスポーツ用品をもらい、倉庫はパンパン…。ちゃんと時間をかけて整理・掃除する必要がありそうです😅今学期中にきれいにするのが目標!

 

新年度が始まって、最初に行われたのは保護者会。この保護者会で通知表が保護者に渡されます。学期末ではなく、次の学期のはじめに渡されるというのが日本と全然違って面白い!

 

保護者会で欠かせないのは、くじびき。たまに景品があたると皆でワイワイします。パラオで欠かせない文化のうちのひとつ。

 

とある保護者のTシャツ。あまりにもスタイリンってどういうこと!😅そんなこんなで、3学期ものほほんと始まりました。

 

 

 

🍚初シューカンに参加

パラオ語にはたくさんの日本語が残っていますが、「シューカン」もそのうちの1つ。「習慣」をパラオ語でも「シューカン」といいます。しかも、パラオ文化で最も疲れて大変なもの「シューカン」と言われてきました。シューカンとはどんなものなのか…今回レポートしたいと思います。

 

今回参加させていただいたのは、パラオのシューカンの中でも大きなもの、お葬式です。学校の給食のおばちゃんの弟であり、たくさんの生徒たちの叔父にあたる男性が亡くなられ、アイメリーク州内でお葬式をすることになりました。ホストマザーMomのいとこにあたる方でもあるので、Momがお供え品を準備するところからシューカンは始まります。

 

大量のタピオカを採ってきて、洗い、ゆでます。このとき、すでにお葬式前日の夜9時。

 

ゆであがったタピオカにココナッツミルクを混ぜて、ココナッツの葉っぱで巻き、しばります。これを蒸すこと1時間ほど…。このとき、すでに夜11時。料理はMomにお任せし、私はもうベッドに行きました😅

 

翌朝。パラオ伝統料理「ビンロウ」の完成です。これが甘くてモチモチしていておいしい🥰

 

手作りのビンロウをフルーツなどと一緒にかごに詰めます。このかごはココナッツの葉っぱで作られたもので、「このちょうどいいサイズ」のかごを入手するために、前日2~3時間Momはあちこちを渡り歩いていました…。かごへの執着がスゴイ。

 

最後はハエが入ってこないようにラップで巻いて、取っ手を付けて完成。前日夕方かごを探しに行くところから始まって、お葬式当日の朝にようやく完成!!超睡眠不足でこのお供え品を持ってお葬式の会場へ向かいます💤

 

会場到着。なんと普段学校の体育や昼休みのサッカーで使っているグラウンドの真隣のセンターでお葬式が行われます。

 

写真からもわかるくらい、ものすごい車の量🚘

 

朝9時スタートのお葬式。会場に設けられたテント席に座ります。そして、聞き続けるのがお経ではなく…なんと、寄付金について。「○○に住む◆◆さんが$$寄付しました」というアナウンスをひたすら聞き続けます。ここで全員に支払った寄付金の額がバレてしまうため、自分だけが少ない額面を出すわけにもいかず、お葬式の数日前から「いくら払う?」というのを調査し合わなければならないらしい…ん~大変😅

 

ちなみに、お葬式に参列する際の服装は自由。私は学校の教員でお揃いの青いポロシャツに短パン、サンダルを履いて参加しました。ただ、ご遺族の皆さんはお揃いのTシャツを着ます。故人の命日や名前が書かれたオリジナルTシャツです。

 

お経並みに長~い寄付金アナウンスを聞き続けること、約1時間…。土砂降りになったり、お腹が減ってきたりしてきます。

 

参列者のお腹が減らないように…と、ご遺族の皆さんが、弁当やお菓子、ジュースを配りに来てくれました。

 

超豪華な弁当。ちなみに、この弁当はご遺族の方の家で早朝から作られた手作りのもの。これだけの料理…大変だろうなぁと思いつつも、ご遺族といっても、親戚繋がりが強いパラオ人なので、150人以上は確実。150人以上ものご遺族で役割分担をして、食事を用意したり、運搬したり、会場の準備をしたりしているようでした。チームワーク✨

 

お葬式は、寄付金アナウンスとともに、なお続きます。聞いているだけなので、だんだん飽きてきて、スマホゲームを始めたり、近くの人とくっちゃべっていたり…。皆それぞれの方法で時間を過ごします。

 

こんなおいしいアイスシャーベットの差し入れもありました。そんな中、なんと10万ドル(約1500万円)以上もの寄付金が集まった…という途中寄付金経過報告が!!!すごい額のお金が動いています…。

 

お経並みの寄付金アナウンスを聞き続けること、なんと5時間!!!!!やっと終わりました…😢

お葬式の前から寄付金をいくら出すかの調査し合い。そして、前日深夜までかかるお供え品準備。さらに、お葬式当日数時間の寄付金アナウンスに耐える…。パラオの人たちが口を揃えて「一番大変なのはシューカン!」と言う理由がちょっぴりわかった気がしました。貴重な体験をさせてもらったことに感謝😅

 

そして、なんと、お葬式から帰った後は、近所のおじいちゃんの誕生日パーティへ向かいます!ん~~、忙しい!!そして、この豪華なデコレーション!!

 

御年86歳になられたおじいちゃんでした。1938年…つまり戦前の頃のパラオを知っていらっしゃるおじいちゃんです。

 

おめでとう!の気持ちを込めて、歌ったり踊ったり…💃なんと、けがをして松葉づえをついた人までノリノリでダンス!私たちは夜10時頃で帰りましたが、その後もパーティは続いていたようでした…。86歳元気だなぁ…。

アイメリーク州にどっぷり浸かり切った一日。パラオ文化を肌身で感じられたものすごい濃い一日でした…。

 

 

 

🗾ジャパンフェア

1月中旬に行われたジャパンフェスに参加してきました。1年に一度開催されている、日本をパラオ人の皆さんにもっと知ってもらうためのイベント。パラオに住んでいる日本人がたくさん集まりました!

日本人らしく…と浴衣を着て、参加!パラオ全土の小学校から5名ずつの生徒が招待され、アイメリーク小からもKinder(幼稚園生)の代表生徒が参加しました。

 

日本文化とパラオ文化のコラボレーションを!との思いで、昨年から仕立て屋さんに注文していた特注の浴衣です。パラオで買った生地を、浴衣の形に塗ってもらいました。街中を歩いているだけで色んな人に声をかけられる人気ぶり!有名人の気分を味わえました☺

 

JICAイベント時間には、会場のみなさんと一緒に福笑い&盆踊り!アラレちゃん音頭を皆で楽しく踊りました✨

 

イベント終了後に、アイメリークの子ども達と先生とパシャリ📷楽しいイベントになりました。

 

 

 

🏠刺激たっぷりホームステイ生活

全く同じポーズのネコ。

 

私のサンダルの上で勝手に暖をとっているネコ。

 

とある日は、ココナッツむき職人に来てもらいました。機械でココナッツの中身を削ります。

 

この大量の茶色いココナッツを…

 

まずは真っ二つに割り…

 

ひたすら削ると、なんとこの量のココナッツ🥥 これを、後日Momがココナッツオイルにしていました。このココナッツをしぼってココナッツミルクを出し、その後はひたすら煮続け、最後に布でこすとココナッツオイルの完成。ココナッツオイルにすると結構高級品です。庭に大量に生えているココナッツ、たまにこんな風に大量に処理するんだなぁと学びました。

 

全然関係ないですが、こいつは、カブトムシみたいなヤツ。

 

押しても押しても、なかなか動かない。強いヤツなんだとホストブラザーKesauから教えてもらいました。

 

そんなこんなで、今日も大自然に囲まれて、元気に生きております🌇

029 初めての寒くない冬休み

1月も終わり、2月に入ってしまいましたが…時はややさかのぼり、クリスマス直後~冬休みいっぱいの様子をお伝えします!

 

🎅パラオ本島一周旅行をいただく

「何かほしいものある?」とずいぶん前にホストキッズJordanに聞かれたとき、「ものじゃなくて、パラオをあちこち巡ってみたい!」と答えていました。そんなことすっかり忘れていたのですが、「クリスマスプレゼントに…🎄」とMomとその仲間たちがパラオ一周旅行をプレゼントしてくれました😢

 

一周旅行に出発する前に、まずはMomのお友達の家に寄ります。Momのお友達…といっても、アイメリーク小の4年生Akibaと8年生Aichiのおばあちゃん。

 

「旅行に行くなら…!」とAkiba、Aichiたちが木に登ってフルーツをたくさん採ってくれました。これぐらいの木だったら、スイスイ登っていってしまいます。ありがとう、子ども達よ。

 

アイメリークに別れを告げて、まずはアイライ州(Airai)へ南下。空港があるのがアイライです。

 

アイライの船着き場の横でランチです。(クリスマスに食べ過ぎて胃を壊していたので、私はほとんど食べられず…😅)

 

近くをプラプラ散歩しました。

 

昔の漁でつかった、魚を生け捕るための水槽。潮の満ち引きによって、魚が自動的にここに溜まり、つかまってくれるという画期的なシステムらしい!

 

次は、アイライ州(Airai)の隣のエサール州(Ngchesar)へ。一周道路を通った時に素通りしたことはありましたが、州内の深いところまで入ったことはなかったので、中へズンズン進んでもらいました。

 

こんなにきれいなビーチが!!!しかもウォータースライダー付き!

 

青い浮島を使って遊ぶこともできそう😊

 

なかなかの長さがあるウォータースライダー。楽しそうです!

 

私が住んでいるアイメリークはパラオ本島の西海岸にあり、美しいビーチ…というよりは、マングローブでゴツゴツの海です😅ただ、東海岸は美しいビーチがたくさん!うらやましいかぎり…。

 

そして、お次は首都マルキョク州(Melekeok)へ。首都の国会議事堂等は行ったことがありますが(

017 ホントー大探検 - Alii!! 南の島パラオから「こんにちは」

)、その奥は行ったことがなかったので、こちらも奥までズンズン進んでもらいます。

 

最近できたばかりだというマルキョクの港。やはり海はどこを見ても透明です…!

 

海が透明なので、マングローブの根の部分がよく見えました。海が緑だ!

 

写真だと見えづらいですが…鳥も発見🐦

 

続いて、さらに北上してニワール州(Ngiwal)へ。ここも素通りをしたことはありますが、州内の奥まで入ったのは初めてです!

 

すると、ニワール州役所の向かいに、謎の像が!!!!

 

おおお。ふんどし姿に、魚を突く銛かな?ザ・パラオという感じの男性の像です。よく見ると、Ngirngemelasという名前の戦士らしい。

 

戦士像の横には、3人の像も。

 

木に登って何か指示を出している男性。これは、パンの木らしい。

 

女性その1。

 

女性その2。手の先が折れていたり、結構劣化が激しい…😅

 

近くに、謎の鐘もあったので、鳴らしてみました。パワースポットか何かかな?!😅

 

最後は、最北端ガラロン州(Ngarchelong)夕日を見よう!と思っていたのですが、突然の土砂降り。突然の雨もパラオあるある。しかし、そこでMom達パラオ人が雲を見ながら相談。「南下したら雲の切れ間があって夕焼けが見えるはずだ!」とのことで、急いで南下します🚘

そして、向かったのがガッパン州(Ngatpang)

 

ガッパンの小さな港へ到着。すると、「ティーチャーにいなー!」という叫び声が!公園では子ども達がたくさん遊んでいたのです。

実はパラオの本島では、基本的に1つの州に1つの公立小学校があります。(人口が減ってしまったエサール・ニワール州を除く)その州に住んでいる子ども達がその州の小学校へ通う…というのが通常パターン。ただ、ガッパン州だけは小学校の規模が小さすぎることもあり、他州にあるアイメリーク小学校に通ってきていたりもしてます。なので、ガッパン州でもアイメリーク小の生徒達に会うことができるのです!

 

日の入り時間までちょっと時間があったので、近くをプラプラ散歩。田んぼかな?と思ったら、魚の養殖場でした。

 

Momいわく、ここで魚を養殖しているけれど、州政府がちゃんと働いていないから、ほとんど魚がいないらしい。

 

水面に雲が写って、なんだかウユニ塩湖のよう…!ここを、「パラオのウユニ塩湖」と名付けます。

 

このパイプ管は、日本の統治時代のものかな?見た目が頑丈で、「なぜここにあるの?」と疑問に思ってしまうようなものは、すべて日本統治時代の名残な気がしてきました😅

 

そうこうしているうちに、美しい夕日が。奥にうっすら見えるのは、アイメリーク州です。

 

日が沈んだ後の余韻もまた、いい。ココナッツの木と夕日のコラボはやっぱり素敵だなぁと感じます。

 

夕日を見終わった後は、秘密基地へ!!!屋根もベンチもあって、なかなか本格的な秘密基地😊

 

火を起こして…

 

魚を焼いて…

 

こちらは血抜きをしてお刺身に…!

 

一日かけて食べきれなかった食べ物が晩御飯としてズラリ!

 

海を見ながら、のんびりと晩御飯をいただきました。

 

夜になってからも、幻想的。Momをはじめ、みなさん、パラオ本島一周旅行をありがとうございました😢これで、パラオ本島の州は全制覇。あと行っていないのは、離島のみになりました!

 

 

 

🏔ンガルダラ流域へ

初めての寒くない冬休み。アイメリーク州の入口にある自然保護区「ンガルダラ流域」へ行ってみました。

 

ンガルダラ流域へ入るにはガイドが必須。ガイドさんを待っている時間に、そのへんにいた子ども達と遊びます。ん、手に持っているのは…?!

 

ココナッツの葉っぱでできたカニ🦀

 

ココナッツの葉っぱでできた鳥🐦クオリティーがめちゃくちゃ高い!!!

 

ものすごいココナッツ葉っぱ編み職人がいらっしゃり、私にもプレゼントを作ってくれることになりました!!まずは葉っぱをきれいに整え…

 

ん、何ができるんだろう…?輪ゴムで型をとったりしています。

 

お、もしかしてこれは…!!!

 

帽子だ~~~!👒

 

この方が、ココナッツ葉っぱ編み職人のジュンさん。「ただいつも遊んでるだけだよ~」と謙遜しながら、この編みの腕前!すごい!!

 

ジュンさんからいただいた帽子をかぶって、いざ出発。完全に色合いがルフィー。笑

 

まずは、ンガルダラ流域に入る前に、日本統治時代の名残を見学。アイメリークはマホガニーという木がよく採れる場所だったそうです。

 

たくさんの日本車輛がそのまま残されていました。

 

こちらは農業をしていたのではないか?と思われてる車輛。

 

「昭和15年制作」の文字盤から、時代を感じさせられます。

 

そして、こちらは「WW2 REMNANTS」──つまり、第二次世界大戦の遺物です。80年経って錆びついても、いまだにしっかりと形が残っています。

 

続いて、エルダラ(UCHERDERAR)という小川に向かいます。

 

エルダラ到着。ここで、エルダラにまつわるおもしろい神話を聞きました。

エルダラは、昔アイメリークに住んでいた酋長でした。エルダラは水浴びが好きで、従者に運んでもらい、このンガルダラ流域の小川に来ていました。しかし、毎日何度も水浴びを要求するエルダラは従者たちの怒りを買い、ついにこの小川に投げ込まれ、殺されてしまったのです。エルダラは死ぬ直前に「アイメリーク州で宴があるときは、必ず豪雨にしてやる…」という呪いをかけ、石に変わったそうです。

その石が、この写真の中の石。そして、アイメリークはパラオで一番雨が多いと言われている州。いやいや、エルダラ!自業自得じゃん!もうさすがに呪いを解いてください!

 

さて、ここからは、登山道のようなジャングル道のようなトレイルがスタート。

 

キノコが大量に生えていたり…。

 

一本橋があったり…。

 

こんなに大きな木があったり…となかなかの大自然。

 

ガイドさんは長靴なのに、私はサンダル…😅滑ったり転んだりしながら、突き進みます。

 

とにかくココナッツの背が高い!!!晴れていて暑いはずなのに、日陰のおかげで涼しいという不思議な感覚。

 

そして、いよいよ最終地点のに到着!!!

 

そんなに大きくはない滝ですが、アイメリークで唯一の滝です!

 

小さなエビも発見しました!かわいい🥰

 

滝から戻ってきた後は、日本統治時代の病院の跡へ行きました。

 

たくさんの瓶がそのまま残されています。

 

これは、病院で使う医療器具だったのでしょうか?

 

病院の建物の跡がしっかりと残っています。

 

パラオの離島であるペリリュー島アンガウル島は米軍も上陸したくさんの死傷者が出た激戦地となりましたが、パラオ本島には米軍の上陸はありませんでした。ただし、度重なる空襲と米軍による海上包囲の影響で食べ物を採ることも輸入することもできず、パラオ本島の人間も辛い思いをたくさんされたそうです。

 

こちらは、トイレの跡と思われるもの。

 

ルフィ姿ではありますが、平和への願いを込めて、見学を終えました。

 

ちなみに、これはトレイル中に見つけた謎の木の実の中身。中身を見ても、謎でした。

 

 

 

 

🚢イノキアイランドへ

とある晴れた日。同期の協力隊員がいるガラスマオ小学校から招待していただき、ガラスマオ小学校のクリスマスパーティに参加させていただきました!アイメリーク小のクリスマスパーティはレストランを貸し切って行いましたが、ガラスマオ小のクリスマスパーティは港集合で始まります!

 

港から出発して海へ…!なんと、このボート代は教育省から出ています💰太っ腹…!!!

 

途中、美しい島々をたくさん見ながら、目的地へ向かいます。

 

ついにNGCHELOBEL島通称イノキアイランドへ到着!!あのアントニオ猪木が名誉オーナーをつとめる島です!

 

ついた瞬間から、白い砂浜!透き通った美しい海!

 

豪快にBBQをしてくださいました!

 

焼いているのは…この量のチキン🐓ものすごい量です…さすがパラオ!

 

見ているだけでよだれが出そうなチキン🤤ちなみに、パラオ人は食べることが大好きでたくさん食べる&一日に何食も食べます。そのため、大きくたくましい身体をした方が多いです😅

 

BBQが焼けるのを待ちながら、海で泳いだりシュノーケリングをしたり…

 

こんなに美しい海、めったに見れないよなぁ😢パラオは本当に海が美しいです!

 

この美しい海を見ながら、そして波音を聞きながら、おいしいご飯をたくさんいただきました。

 

そして、帰路へ。しかし、帰路でボートがなぜか突然停止しました!なぜ?と思ったら…

 

日本統治時代の大砲です。こんなものもまだ残っていたなんて…。美しい海と対比されて、不思議な感覚でした。

 

そして、楽しいクリスマスパーティからの帰り道、アイメリークではなくお隣のガッパン州に寄ってもらいました。

 

ガッパン州には「コクサイ」と呼ばれている地名があります。

 

「コクサイ」というのは、日本統治時代に大きな電波塔があった場所。いまだに巨大な電波塔が横たわっています。

 

第二次世界大戦当時、米軍からの空襲の標的にされることを恐れ、日本軍が自らこの電波塔を倒したのだそうです。80年経った今でも、しっかりと残っている横たわった電波塔。

 

日本がパラオに残した数々の遺物を見るたびに、日本のみなさんにも知ってもらいたいなぁと感じます。私自身も「パラオ」という国は、協力隊に応募するまで知りませんでしたが、こんなに「日本」がいまだにたくさん残っているのが「パラオ」なのです

 

 

🏠刺激たっぷりホームステイ生活

今日のネコ。つまみ食いをするとMomに怒られるぞ~。

 

庭に咲いている美しい花。色鮮やかな花が多いのがいいですね!

 

ホームステイ先でも、クリスマスパーティを開いて盛り上がりました。久々のワイン🍷

 

そして、突如始まったホストブラザーKesauのビートルナッツ採取。パラオではビートルナッツという嗜好品が大人気です。

 

長い竹の先っぽにナイフをくくりつけ、実を落とそうと奮闘。

 

こんなに高いところにビートルナッツの実が!!!

 

無事に採取完了。ビートルナッツ…別名ビンロウです。タバコのように依存性があり、発がん性もあるといわれているビートルナッツですが、パラオ人は大好きです。私も端っこをかじってみましたが、全然おいしくなくてすぐに出しました😅

 

ちなみに、ホストブラザーKesauからは木登りを教えてもらいました。タオルを足に結び付けて…

 

これで、なんと、登る!!!!「やってみなよ!」と言われて挑戦しましたが、とてもじゃないけど登れない!さすが、パラオ人。たくましいです!

 

そして、とある日は、庭のテーブルとベンチのペンキ塗りのお手伝い。

 

せっかくだからはみ出さず塗りたい!まずはテープで枠を作るところから!!!コロナ禍の休校期間中に毎日のようにペンキ塗りをしていた経験が役に立ちました😅

 

ひたすら塗り続けます…!

 

ネコも見守るペンキ塗り。

 

テーブルも塗る、塗る、塗る…!

 

こだわりのテープで縁取りをしたおかげで、きれいな色の境い目!!!

 

ペンキ塗り、約5時間。卓球台のような見た目ですが、きれいに仕上げられてMomも私も大満足🥰

 

ここからは、新しいホストファミリー?!な虫くんたち。

ちっちゃいカブトムシみたいなやつ。上から押しても押してもめげずに歩き続ける強さあり。

 

部屋の中に出た巨大グモ!!!虫はそんなに苦手なタイプではありませんが、さすがにこれにはドン引き…。ホストブラザーに退治してもらいました。(素手でカサカサ動くコイツヲニギリツブシテイタ…パラオジンスゴイ…)

 

二連続虫で失礼いたしました。最後はアイメリークのお気に入りの船着き場からの美しい夕日で締めたいと思います🌇

028 ペリリュー島へ②

前記事(

027 ペリリュー島へ① - Alii!! 南の島パラオから「こんにちは」

)に引き続き、ペリリュー島で学んだことについて、今回もお伝えしていきたいと思います。

 

🔵ペリリュー第二次世界大戦記念博物館

続いて向かったのは、第二次世界大戦記念博物館。博物館の前には、当時のプロペラ機のプロペラがそのまま残されていました。

 

中央部分に日本語で「プロペラ廻転…」と書いてあるのが読めます。

 

こちらが、第二次世界大戦記念博物館。元は日本軍の燃料貯蔵庫だったそうです。現在は建物の劣化の関係から、博物館としても残念ながら休業中でした…。

 

元々はペリリュー島に4つあった燃料貯蔵庫のうち、1つだけ残っているのが、この貯蔵庫です。

 

写真からは大量の爆弾が落とされたことがわかります。

 

むき出しになった建物の骨格。

 

このななめの位置から砲撃が通過したのがよくわかります。こんな状態になっても、建物が建物の形のまま80年以上姿を残していることで、いかに日本が強固な建物を作ることができていたかがわかります。

 

不発弾もありました。

 

雨ざらしの空の下で、放置されたままの爆弾たち。

 

こちらは、人間魚雷「回天」。ここに人が乗って敵船に向かって特攻攻撃をしていたなんて…。教科書で学んだことはあったものの、実物を見て言葉を失いました。

 

 

🔵日本軍総司令部跡

旧飛行場のすぐそばにある、日本軍総司令部跡です。海軍航空隊の司令部として使われていた建物だそうです。

 

2階建ての建物で、中に入って見学することもできました。

 

壁には無数の銃痕、そして天井にはぽっかり穴が空いていました。

 

この建物だけでも、800kg以上もの爆弾が落とされたそうです。

 

そして、建物の奥側には、2階の別室に向かう扉も見えました。この厳重に守られた扉の中は、電信室だったそうです。軍が一番大切に守ったのは「情報」だった…ということです。

 

扉の厚みが、建物の頑丈さを物語っていました。

 

爆撃の跡が生々しくたくさん残っていますが、いまだに建物として立派に残っています。80年も経ち、攻撃もたくさん受けたのに…日本の建築技術の高さを感じさせられます。

 

「日本がつくる建物は頑丈で立派」という認識がパラオの中でも強くあり、いまだに台風の際にはペリリュー島の島民たちが、この総司令部跡に避難をしに来るそうです。

 

外側から見ても、太い柱を基調にした骨組みがしっかり残っています。

 

こちらは、お風呂

 

こちらは、炊事場のようです。

 

総司令部跡のすぐ隣には、防空壕がありました。

 

 

🔵日本軍戦車

旧飛行場のすぐそばには、日本軍の戦車が残されていました。

 

錆びており、中身は草だらけですが、ボディはとてもしっかりしていました。

 

青く茂った緑と、戦車。生と死の対比を考えさせられました。

 

こちらが、飛行場。今は米軍による再軍事化が進められており、もうしばらくすると、飛行場をのんびりとツアーで突っ切ることはできなくなるのではないかとガイドの方がおっしゃっていました。太平洋戦争の激戦地ペリリューで再軍事化が進められているなんて…。戦争は他人事の話ではないと思い知らされました。

 

 

🔵オレンジビーチ(米軍最初の上陸地)

1944年9月15日に始まった米軍最初の上陸地点、西海岸のオレンジビーチの慰霊モニュメントです。

 

この慰霊モニュメントを通過してしばらく歩くと、オレンジビーチに到着します。

 

オレンジビーチ──当時、米軍が使用していたコードネームですが、今もそのままの名前が使われています。米軍上陸時は、待ち構えていた日本軍の一斉射撃によって、海は真っ赤な地で染まったそうです。

 

この穏やかで美しいビーチで、80年前に何て悲惨なことがあったのだろう。世界の人々の幸せと平和な世を願わずにはいられません。

 

 

🔵52型零式艦上戦闘機

続いて、52型零式艦上戦闘機─ゼロ戦のもとへ向かいます。

 

草だらけのジャングルの中に、ゼロ戦が。

 

機体に空いた大きな穴が、攻撃を受けたことを物語っています。

 

パラオにはジャングルや海底等に、いまだにたくさんのゼロ戦が残されていますが、ここでは操縦席もしっかりと見えました。

 

ゼロ戦は英語でZero Fighterと呼ばれ、その機動力の高さから多くの敵兵に恐れられていたそうです。「ゼロ戦に遭遇したら、戦わずに逃げろ」と言われていたほど。ただ、スピードを上げるために機体を軽量化した結果、薄い外板を使っていたのが致命的な欠点となってしまいました。

 

 

🍚お昼休憩

昼休憩は、南端のサウスドッグへ。パラオでは、海の近くに、こうして子供用の遊具が設置してあったり、人々が座って食事ができる長机&ベンチが置いてあったりすることが、よくあります。ちなみに、ベンチはパラオ語で「ヤスンバ」と言い、語源は「休み場」です。

 

サウスドッグの端には、米軍の第一海兵師団の慰霊碑がありました。

 

当時、「世界最強」と謳われていた米軍海兵隊ペリリューの戦いでは日本軍の粘り強い抗戦に翻弄され、ここでの戦いは「太平洋戦争で最も激しくもっとも混乱した戦闘」と言われていたそうです。

 

また、道端には古い船がそのまま残されていました。おそらく漁船だったのだろうとのことでした。

 

 

🔵平和記念公園

続いて、ペリリュー平和記念公園へ向かいました。平和記念公園には、1985年につくられた西太平洋戦没者の碑がありました。

慰霊碑の中央には、半眼のモチーフがあり、日本の方角を向くように取り付けられています。戦争で亡くなった人たちの魂が迷わずに日本へ帰ることができるように…という願いが込められているそうです。

 

西太平洋戦没者の碑には、日本語と英語で平和への思いが刻まれていました。

「さきの大戦において 西太平洋の諸島及び海域で 戦没した人々をしのび 平和への思いをこめて この碑を建立する」

 

また、ペリリュー島は天皇皇后両陛下が2015年に戦没者を慰霊するために訪問された島でもあります。天皇皇后両陛下御訪問記念のモニュメントもありました。

ペリリュー島の戦いは2・3日で終わると米軍から想定されていたのにも関わらず、実際は戦いが長期化しました。そのため、当時の天皇陛下もペリリューの様子を気にされ、御嘉賞(天皇陛下からのお褒めの言葉。当時は、これが頂けるのは大変誉れなことだった。)11回も贈られたそうです。この回数の多さは異例のことであり、ペリリュー島は米軍から「天皇の島」と呼ばれていたほどでした。

ペリリュー島民の皆さんは、日本の天皇皇后両陛下がペリリューを訪れたことを今でも誇りに思ってくださっており、訪問日の4月9日はペリリュー州の休日になり、毎年記念式典が行われているそうです。(コロナ禍を除く)

 

 

🔵米軍水陸両用戦車

続いて、島内中央部に放置されている米軍水陸両用戦車へ向かいました。

 

先ほどの日本軍戦車は約7.5トン。それに対して、この米軍水陸両用戦車は30トンも重量があるそうです。どれだけ兵力に差があったかを思い知らされます。

 

錆びてはいるものの、いまだに左側の歯車を回転させることができ、頑丈なつくりの水陸両用戦車であることがよくわかりました。

 

その戦車の横の小道を上っていくと…

 

日本軍の大砲の跡がありました。

 

大砲の先は東側を向いていましたが、実際に米軍は西海岸から上陸したため、この大砲を使うことはなかったそうです。岩壁の間から突如現れる大砲は、とても大きいものでした。

 

また、大砲の近くには捕虜収容所に使われていたと思われている場所もありました。

 

 

🔵終焉の地(大山/ブラッディ・ノーズ・リッジ)

ツアーの最後に、「日本軍終焉の地」へ行きましたが、その前にペリリュー神社に寄りました。

 

戦前につくられた神社が1982年に再建されたものです。

 

神社の後は、いよいよ日本軍終焉の地へ。ペリリュー島で米軍の上陸後、日本軍総司令部等が制圧された後、日本軍は島中央部にあるペリリュー最高峰の「大山」で徹底抗戦をしました。日本軍からは「大山」と呼ばれていますが、米軍からは「ブラッディ・ノーズ・リッジ」つまり「鼻血だらけの尾根」と呼ばれたほど、たくさんの血が流された場所です。

 

いまだに不発弾が多く残っているため、決められた道以外は絶対に歩かないようにと念押しされました。ジャングル道ではありますが、人が通れるように整備されていました。

 

いまだに不発弾が残っているなんて…。

 

案内板には、生々しいヘルメットが掲げられていました。ペリリュー島では10022名の日本兵が戦死しました。このヘルメットも亡くなった誰かがかぶっていたのでしょう。

 

この大山でも、日本軍は洞窟陣地を駆使して激しく抵抗しました。500以上も作られた洞窟陣地はかなり複雑に配置されており、米軍が来るのを待機して洞窟の中から攻撃し、米軍が反撃しようとすると、洞窟内で連携を取り合って別の洞窟の穴から攻撃をする…といった具合で戦闘を積み重ねていたようです。

 

こんなに小さなサイズの穴があちこちに掘られていました。

 

ペリリューではいまだに見つけられていない遺骨が数多くあり、遺骨収集が続けられています。

 

いよいよ、終焉の地の慰霊碑に到着しました。ペリリューの戦いでは、日本本土への米軍到着を少しでも遅らせるため、日本軍の自決行為が禁止され「徹底抗戦」が叫ばれ続けていました。そのペリリューでも、いよいよ最後の土地となった大山のまわりが米軍に囲まれ、あとわずかで米軍に到達されるというところで、指揮官の中川大佐は玉砕を決意せざるをえませんでした。

そして、1944年11月24日、軍旗と機密書類を処分し、中川大佐は最後の電報を司令部に打ちました。その内容は「サクラ、サクラ、サクラ」。これから玉砕して散ることを暗示した電報でした。その3日後の11月27日。ペリリュー島は米軍によって完全に占領されました。

ただし、実際の戦闘はまだ続いていました。ペリリュー島内のあちこちの地下壕内で潜んでいた日本軍兵にはペリリュー玉砕の報どころか、1945年8月15日の日本の敗戦すらも伝わらず、日本兵生存者たちはいつか援軍が来ると信じて息をひそめながらこの地で生き続けていたのです。34名の日本兵生存者たちが米軍に帰順したのは1947年4月のことでした。

 

「ペリリューの戦い」を描いた漫画「ペリリュー ー楽園のゲルニカー」を読んでから、今回ペリリュー島に行きました。34名の日本兵生存者のうちの1人が主人公となっている漫画です。作者の武田さんが何度もペリリューを訪れて描いた漫画で、日本のみなさんにぜひ読んでもらいたい書です。

www.hakusensha.co.jp

 

楽園と呼ばれるほど美しいパラオ。でも、その楽園で80年前に何が起こっていたのか。二度と同じ悲劇を繰り返してはいけないと改めて思いました。

自分にできることは、まず目の前の一人を大切にすること。そして、知ろうとし続けること伝えようとし続けることだと思いました。今後もパラオでの生活を通して、日本の皆さんに発信し続けていきたいと思います。

027 ペリリュー島へ①

🏝ペリリュー島へ

話は昨年にさかのぼりますが…12月にペリリュー島に行ってきました。

恥ずかしながら、協力隊でパラオへの派遣が決まったときに「パラオ」の国名を知らなかった私も、「ペリリューの戦い」の名から、ペリリュー島のことはなんとなく聞いたことがありました。第二次世界大戦の激戦地であるペリリュー島に行ってみたいとパラオに来てからずっと思っていましたが、12月についにペリリュー島に行くことができました。

 

パラオの大都市コロール(Koror)から南へ向かうとペリリュー島(Peleliu)に到達します。

 

ロックアイランドツアーカンパニーという会社のツアーで、ペリリュー島戦跡ツアーに参加です。まずはボートに乗るところから!

 

ボートに乗ったときは大雨でしたが、少しボートに乗ると、途端に青空に。パラオの天気は本当に変化が速いです。

 

世界遺産にもなっているロックアイランド(古代のサンゴ礁が隆起してできた石灰岩の島)を通過して、ペリリュー島へ向かいます。青い空、白い雲、そして美しい水色の海です。

 

ボートに乗ること約1時間。ペリリュー島に到着しました。

 

ペリリューの玄関口。北端のNORTH DOCK(北波止場)に到着です。ここでツアーガイドさんが入島税を払ってくれました。

 

日本語で書かれた大きな看板。

 

こちらは定期船のNIPPON MARUⅡ。地元の方々が乗る船で、毎日運航しているわけではないそうです。

 

パラオにある船の名前なのに、NIPPON MARU…。パラオとの深い絆を感じさせられます。

 

車のナンバープレートもすべてペリリュー(PELELIU)。ペリリュー島に来たんだなぁとしみじみ実感。

 

小型のバンに乗って、ペリリュー島戦跡ツアーが始まりました。

 

 

 

🔵「ペリリューの戦い」とは

ペリリューの戦いとは、第二次世界大戦中、1944年9月15日から11月27日にかけて行われた日本軍とアメリカ軍の陸上戦のことです。当時、連戦連勝を重ねていた米軍の海軍は、1944年3月から日本軍への攻撃を開始し、ペリリュー上陸から3日以内に戦闘を終わらせることができると想定していました。しかし、そこから日本軍守備隊が500以上にも渡る洞窟陣地などを利用して徹底抗戦し、陸上戦は2か月間にも及びました。この間、米軍は約48000名が動員され、戦死者は8500人以上。日本軍は約10500名が動員されそのうち、10022名が戦死したと言われています。

ペリリューの戦いの直前に、サイパンが陥落しており、サイパンでは自ら命を絶つ「自決行為」によって、兵士だけでなくたくさんの民間人も命を落としました。ペリリューでは、サイパンの戦いでの反省も踏まえ、「自決行為」は一切禁止され、とにかく戦いを長期化させる「徹底抗戦」が第一優先とされたそうです。

 

🔵トーチカ

まずは、バス車内からトーチカを見学。

トーチカとは、鉄筋コンクリート製の防御陣地を表す軍事用語で、日本語にすると特火点と訳されるそうです。ペリリューにはトーチカが500以上もあったとされています。壁面につくられた穴から銃口を出しながら見張り、周囲を警戒するための塀が、このトーチカです。ガイドさんいわく、このトーチカが壊れずに残っているということは、この位置ではそこまで激しい戦闘が繰り広げられなかった証…とのことでした。

 

こちらは、ペリリュー島と隣の小島Ngedbusを結んでいた橋げたの跡。

 

当時は、ペリリュー島の隣に浮かぶ小島Ngedbusにも日本人が住んでいたそうですが、まず米軍はペリリュー島とNgedbusを結ぶ桟橋を破壊し、小島への移動の手段を絶ったそうです。

 

🔵千人洞窟

続いて、千人洞窟へ。

 

ガイドさんは、元自衛隊員だったお方で、本当に丁寧に私達に説明してくださいました。「ペリリューの戦い」をしっかりと伝えたいとの使命感をもち、ペリリュー専門でガイドをされているスゴイ方です。

 

「千人洞窟」の名の通り、千人規模が入れるようにつくられた洞窟。入口はしゃがまないと入れないほどの小さなサイズです。

 

地図のようなものがありました。この通り、複雑に入り組んだ洞窟がつくられたことがわかります。

この千人洞窟は、陸軍ではなく海軍の「隧道隊」(トンネルを掘るための部隊)がつくったものだそうです。当時は火薬の量も限られており、ほとんど手作業で掘られた洞窟だとのこと。ただでさえ暑い熱帯雨林のパラオの土の中で、どれだけ蒸し暑かっただろうかと想像させられます。

 

懐中電灯を片手に、奥へと進んでいきます。全部で33の部屋がある284mもの長さの人口洞窟です。

 

ビンのかけらが当時のまま残されていました。

 

こちらにも、ビンのかけらが。戦況が落ち着いていた頃はまだ酒盛りをする余裕があったのではないかと考えられています。

 

こちらにも、当時のまま残されたたくさんのビンや遺留品の数々。

 

ここは、医療室だったのではないかと考えられている場所です。

 

こちらは、弾を立てていたとされているケース。

 

千人洞窟はまだまだ道が続いていますが、見学はこのあたりまででした。壁がところどころ黒くなっているのは、火炎放射器で焼かれた跡だそうです。ペリリュー島での組織的戦闘は1944年11月27日に終わりますが、この洞窟は翌年1945年2月まで少数の日本兵が立てこもり、洞窟を明け渡さなかったといわれています。

 

🔵トーチカ

こちらも、日本軍が作ったトーチカです。

 

こちらのトーチカの銃口を入れる穴は特徴的。

 

内側が狭く、外側が広くなっていることから、より幅広い面積を狙い打ちすることができる作りになっています。

 

日本のお城でもたまに見られるこの形。日本流の知恵が活用されていたのです。

 

🔵ペリリュー小学校

こちらは、戦跡ではありませんが、ペリリュー小学校。

 

広い校庭にバレーボールコートやバスケットボールコートも完備。ペリリュー小学校は全国体育大会でも結構強い学校です。

 

🔵戦没者慰霊碑

続いて向かったのは、戦没者慰霊碑。ペリリュー島の共同墓地の中に、日本の戦没者慰霊碑が建てられています。

 

こちらは、ペリリュー島の方々の墓地。キリスト教徒が多いパラオでは、墓地で多くの十字架が見られます。

 

その反対側を見ると、たくさんの日本語が。まずは、「沖縄の塔」。当時、ペリリュー島に動員された日本兵は沖縄出身者が多かったそうです。

 

こちらは三十四(みとし)会が建立した慰霊碑。「戦友よ安らかに」と書かれています。ペリリューの戦いでは、1944年11月27日に日本軍司令部が玉砕して組織的戦闘が終了しますが、その後も敗戦を知らない日本兵が生き残りました。34名の日本兵生存者達は、食糧をやり繰りしながら、なんと1947年4月まで洞窟内などで生き残った後、米軍に帰順しました。三十四会は、この34名の日本兵生存者がつくった会のことなのです。

 

こちらは、ペリリューの戦いを率いた中川州男中将の慰霊碑。中川中将は徹底した現場主義者で、島内の要塞化した洞窟の建設を指示。また、民間人をパラオ本島へ疎開させ、民間人犠牲者をペリリュー島で出さなかったとされています。

 

他にも、数々の慰霊碑が。

 

そして、こちらがペリリュー戦闘者慰霊碑みたま

 

ペリリュー・パラオをはじめとする世界の平和を祈り、お線香をあげました。

 

戦没者慰霊碑みたまと、ペリリュー共同墓地。今日も、ペリリューの地元の方々が草刈りや整備をしてくださっているおかげで、きれいに整った状態を維持することができています。

この美しい島ペリリューで80年前に何があったのか…。日本人として、平和を求める一人の人間として、もっと学んでいかなければいけないと改めて思いました。

 

 

ペリリュー島へ②につづく。